模試の偏差値の結果は私に言わせれば血液検査の結果と同じだ。
一喜一憂するのは、馬鹿げている。
中長期的に見てKPIなど
(KEY PERFORMANCE INDICATOR :重要達成度指標、重要業績評価指標)で判断すべきだ。
模試の偏差値の結果は私に言わせれば血液検査の結果と同じだ。
一喜一憂するのは、馬鹿げている。
中長期的に見てKPIなど
(KEY PERFORMANCE INDICATOR :重要達成度指標、重要業績評価指標)で判断すべきだ。
やる前から成功を考えてばかりいずに、やっているプロセスの中で成功への手ごたえを感じつつ事を進めていくことが大事だと思う。
ちょくちょく進めていくうえで不愉快なことも起こるがそれこそが進歩への近道と知っていれば道中でも楽しく歩んでいけると思う。
受験で言えば難問、自分だけ解けない問題に遭遇したら今までの自分(過去の自分)からしてみれば【未知との遭遇】なわけで客観的な事実としてはラッキーなわけだ!
進歩のチャンスである。
模試の成績は過去問ではないのでいわば一尺度・一メルクマールとしてかたずけて気にしなければいいだけだ。
自分は危機に遭遇したくない。
リスクヘッジの仕方ばかり学んでいる若者たち。
暴れる生徒がいたらその子を無視する生徒ばかり。
共生の時代でも嫌な人は排除してしまう。
ゲームと同じ感覚でスイッチを消してしまう。
LGBTQや障害を持たれた方にはあまり差別がなくなってきたがバイオレントには寛容性がない。
こんな体たらくではメタメッセージであっても【言葉の暴力】と言われかねない。
セクハラ・モラハラ・パワハラ・・・すべていい意味で行っても生徒はこれらの言葉で返すのみ。
これが行き過ぎると冤罪が起きる。
これを【弱者の強者化】と伊藤琢哉は呼んでいる。
今より良くなりたいという気持ちと同時に瞬間瞬間が楽しいという経験が講義です。
これが結果につながる。
生徒と先生の共感を伴う双務契約。(どう転んでも片務契約になりえない→どうにも止まらない躍動)
本気になっちゃう楽しさ。
やり切る自信・手応えを徐々につかみえた嬉しさを生徒と講師でともに築いていく【まねび】の場。
管理だけして勉強の計画書を作成し指針だけ与え戦略・戦術を与え教えを乞わない生徒の望みも叶える
合言葉は【とにかくすぐやっちゃえよ!!!】俺に感染動機させ何より真っ先に体が動いている状態に
ITO・ACADEMYではこの度、レアケースコースを作りました。
伊藤琢哉との討論・カウンセリングを通じて学歴レースから離脱しても社会でうまくやっていける能力を育成します。
また、社会に適応せずに個で【経済的にも・心理的にも】安定してやっていけるトポスづくりのお手伝いをさせていただくコースも別動体でご用意させていただきます
この機会に当校のきめ細やかなホスピタリティー・おもてなしをご利用ください。
勉強の計画書・戦略・戦術のみ教え勉強は教えない諸葛孔明コースもお問い合わせください。
例;一生引きこもりコースなど
安穏コース・脱競争コース・ゆるキャラ革命コース・脱社会コース・他と同じ土俵に上がらないコース
サイコパスコース・脱学歴コース・スパルタコースなど他多数
貴公からのコース提言も求めます!!!→お問い合わせ欄からお送りくださるかお電話にてお知らせください。
人は不愉快なことがあると成長します。
解ける問題ばかりドリルでやっているのは小学2年生まで。
皆さんも【ITO ・ACADEMY】で最低でも’如才ない人′に成長しましょう。
山水経という仏様のお説教には【言葉はない】
価値観もなければ主義主張もない。
何もなくても花は咲きみのる。
ここから学ぶことは忘れてもよいし考えてもよいが考えに固執すると発展しないということ。
思考停止、エポケーにならぬこと。
追っかけてはいけないが、広く追及し(リベラルアーツは大切にしている)欲望も種類によっては少しは良い。
学校で習ったことは社会で使えないものもある(不倫は文化)
例えば紫式部の書いた【源氏物語】の世界では不倫はまかり通っている。
でも以前早稲田商学部を中退された石田純一さんは【不倫は文化だ】と言って大バッシングを世間から受けた。
このケースでは温故知新という考えに依拠してはいけないケースなのである。
最近は【時代が違う】という考え方の方がほとんどで昔のことは全く参考にならないことが8-9割だ。
不倫したら刑事上は良いが民事で争われるだろう。
石橋をたたいて渡れではなく、セクハラ・モラハラを気にしろというものでもなく〈当たり前のことを良識の範囲内で〉なされてみたらいかがかと私は言いたい。
ITO・ACADEMYの教育方針の軸はぶれないまでもフレキシブルに【非接客無接触社会のニーズに】応じます。
【ワンチャンに】心行くまで付き合います。
ご安心ください。
講師の独りよがりの教育・講師自身の自分本位の教育はしません。