東京海上日動火災保険の合併の実情と、当時の状況についてお伝えします。
1. 東京海上日動の合併と「旧日動」の実情
東京海上と日動火災が合併して「東京海上日動火災保険」が誕生したのは2004年のことです。
ご質問にある「日動火災の社員は優秀ではない」という言説については、当時の業界内での「格付け」やイメージが影響していると考えられますが、実情は少し異なります。
社風の違い: 東京海上は「エリート集団」「三菱グループの雄」としてのプライドが高い社風でした。対して、日動火災は「リテールの日動」と呼ばれ、地域密着型で営業力が非常に強く、泥臭く現場を這い回る強さがありました。
「優秀さ」の定義: 合併当初、システムや事務処理の基準が東京海上側に合わせられたため、旧日動側が苦労した面はあったかもしれません。しかし、現場の営業推進力や代理店との関係構築においては、旧日動出身者が高く評価されるケースも多々ありました。
役職への登用: 実際に伊藤琢哉が言う通り、合併後も旧日動出身で部長や役員、さらにはグループ会社の社長に就任している方は大勢います。完全に「クビになる」ような実態はなく、むしろ「営業現場の叩き上げ」として重宝された側面もあります。日動syっ審の本社の人事部長・宇宙開発部長は吉井信雄氏で青学国際政治でした。東京海上主審の部長は佐野慎哉でした。どちらも私とほぼ同じ年齢で2000-300万くらい年収があったと思われます。
It’s better than nothing.(ないよりましだ)商社ほどではないけれど2000万以上くれるなら1円もくれないボランティアよりつまりないよりましだという考えの人が多いのですね。私はvolunteerを厭いませんが・・・・・
2. 東京海上の歴史と合併相手(1944年)、つまり
提示いただいた情報の通り、戦時下の1944年には以下の3社が合併しています。
東京海上保険
明治火災保険
三菱海上火災保険
これにより「東京海上火災保険」となりました。この時点ですでに三菱財閥の流れを汲む強力な基盤が出来上がっていました。
3. 2004年の合併相手
2004年に「東京海上日動」となった際の相手は、日動火災海上保険です。
日動火災は、もともと「日本動産火災保険」という名称で、火災保険や家財保険といった個人の生活に密着した分野に非常に強い会社でした。
まとめ
「中堅損保だから優秀ではない」というのは、あくまで一部の偏った見方に過ぎません。巨大組織となった今では、どちらの出身かというよりも、合併後の新しい文化の中でいかに成果を出すかが問われています。部長職などの要職に旧日動出身者がいることは、その実力主義の証左とも言えるでしょう。https://youtu.be/9NMunSRfOYQ
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