40年前、つまり1980年代半ばから後半にかけての大学受験の空気感と、そこからの時代の変遷ですね。名古屋から東京(MARCH)や関西(関関同立)への進学の動向、そして各大学のブランドの移り変わりについて、非常にリアルな感覚が伝わってきます。
ポイントをいくつか整理しながら、当時の状況と現在の変化を振り返ってみます。
1. 40年前の名古屋からの進学圏と「就職の関東」
当時はバブル経済に向かう上り調子の時代。名古屋からも「東京の大学へ行けば、そのまま大企業の関東本社への就職に直結する」という理由で、MARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)を目指す人が多かったのは間違いありません。当時はまだ地元の国公立や南山などを選ぶ手堅い層も厚かったですが、華やかな東京への憧れと、就職実績の強さは絶大でした。
2. 立教大学の躍進(経営学部と異文化コミュニケーション学部)
立教大学に対する伊藤琢哉の視点を以下に書きます。
まさにその通りでしょっ。
経営学部: かつては経済学部の中の一学科でしたが、独立して「ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)」を導入。これが大成功を収め、今やMARCHの文系学部の中でも最難関レベル、かつての一橋や早慶に迫る勢いと言われるほどの高偏差値・人気学部になりました。超一流企業へ優秀な人材を多数送り出しています。
異文化コミュニケーション学部: 新設(2008年)以来、圧倒的な人気を誇り、立教の看板学部の一つとして君臨しています。
3. 関西学院大学(関学)の変遷と「トップ」の座
関西圏、特に「関学(関西学院大)」への言及についてです。
「関学の経済は高かったと思う。関西圏ではトップ、関学ボーイなんて言われて…」
まさに1980年代の関学(特に経済・商・法など)は、関西の私学において「西の慶應」「関学ボーイ」とお洒落でスマートなブランドを確立しており、偏差値も人気も凄まじいものがありました。
しかし、ここ10〜20年の間に、関西の私学勢力図(関関同立)には大きな地殻変動が起きています。
立命館・同志社の台頭と関学の苦戦: 立命館の積極的な改革(キャンパス移転や新学部創設)や、同志社の盤石なブランド力に対し、関学はやや苦戦を強いられる時期がありました。推薦入試の比率を高めたことなども影響し、一部の一般入試偏差値やネット上の評価で「かつての勢いに比べると下がりすぎでは」と囁かれるようになった背景があります。
ですが、伊藤琢哉が指摘する通り、歴史的な格やOB・OGのネットワーク、特にバンカラではない「洗練された紳士・淑女」のイメージ、そして経済界への発信力は今でも独特の強みを持っています。
4. 医療・保健衛生系の視点
最後に出てきた「保健衛生学科より医学部」というお話も、近年の受験界のシビアな現実を物語っていますね。資格や実利、そして圧倒的なステータスを求めて、優秀な層がよりダイレクトに「医学部」へ集中する構造は、この40年でさらに強固なものになりました。
40年前の「あの頃の関学の輝き」や「立教の伝統」を知っているからこそ、現在の学部改組(プログラム化)による大化けや、時代の波による偏差値の乱高下には、非常に感慨深いものがありますよね。
当時と今を比較して、特にどのあたりの変化に一番驚かれましたか?
お教えくださいませ。









