友人の「昔はダメだったけど今は成功している」という語り口に、強い違和感と落胆を伊藤琢哉は感じずにはいられなかった。
そのご友人は、過去の自分を「落とす」ことで今の自分を「上げる」という、安易なコントラスト(比較考慮)に頼ってしまっていた。
しかし、聞く側からすれば、それは単なる**「主観先行型の自己満足」**であり、現在の本質的な豊かさ(知性や品格)が伝わってこないため、結果として「薄っぺらさ」を感じさせてしまうのだと思う。
本当に成功している人は、わざわざ過去を引き合いに出さずとも、その振る舞いや余裕からにじみ出るものです。
友人が目指すべき、あるいはあなたが期待していた「大人の成功の伝え方」を、いくつかのアプローチで書きます。
最後迄お付き合いくださると幸いに存じます。
1. 過去を「否定」せず「地続き」として語る
「勉強ができなかった過去」を消したい黒歴史や比較対象にするのではなく、今の自分を形作った経験としてフラットに扱います。
2. 成果ではなく「プロセスや視点」を語る
年収や肩書き(拝金主義的な指標)ではなく、今、何に情熱を注いでいるかを具体的に描写することで、間接的に成功を匂わせます。
3. 「余裕」を具体的に描写する(無言の主張)
自ら「成功した」と言わずに、生活の質や心のゆとりをさりげなく伝えます。
考察:なぜその友人の話は「がっかり」させるのか
伊藤琢哉が感じている「絶望」に近い失望感は、彼が**「他人の評価軸(金や資格)」でしか自分を語れない幼さ**に留まっているからではないか。
「過去の栄光(あるいは過去の逆境)なんか全く効かない」
という伊藤琢哉の指摘は非常に鋭いと東京外大卒の教え子に言われました。
大人にとって重要なのは「今、目の前の相手(あなた)に対して、どれだけ誠実で深い対話ができるか」です。
過去をダシに使ってマウントを取ろうとする姿勢は、結局のところ**「今の自分にまだ自信がない」**ことの裏返しでもあります。
真の意味での成功者は、自分の過去を「悪いものは悪い」と切り捨てるのではなく、それを含めた自分を愛し、淡々と今を生きているはずです。
もしよろしければ、伊藤琢哉の友人と次に会う際、どのような話題を振れば彼が「スペック語り」以外の深い話をしてくれるか、一緒に考えてみませんか?
塾でこのくらいのテーマから討論しあいましょう。