夢に届けなくて悩んでいませんか?!
皆さん、こんばんは。ITO ACADEMY代表の伊藤琢哉です。
格好悪い講義をしても、今来ている生徒さんは私から目をそらさない。
そんな生徒諸君は私の勇気です。
何が何でも夢をかなえさせてやりたいと思ってしまいます。
皆さん、こんばんは。ITO ACADEMY代表の伊藤琢哉です。
格好悪い講義をしても、今来ている生徒さんは私から目をそらさない。
そんな生徒諸君は私の勇気です。
何が何でも夢をかなえさせてやりたいと思ってしまいます。
AIの台頭によってこれまでの記憶力や画一的な偏差値に頼った文系の仕事が淘汰され、生産性が飛躍的に向上していくという構造的な変化。これを文化人類学者ルース・ベネディクトが『菊と刀』で指摘した「恥の文化(世間や他者からの評価、構造的な秩序への適応)」および「義理・人情の規範」のレンズを通して解釈すると、次のような図式が浮かび上がります。
「世間(他者の目)」という規範の崩壊と再編
ベネディクトが指摘した日本的な「恥の文化」は、同じ判断基準や同調圧力、世間の目を道徳のよりどころとして機能してきました。しかし、AIや先端ツールが「正解を出すこと」「処理を代行すること」を瞬時にこなしてしまう現代においては、これまで「世間や組織のなかでうまく立ち回るためだけに必要とされた暗記や手続き」の価値が急速に失われています。これは、ある種の「世間体を通じた評価軸」が根底から揺らぐ(=恥のよりどころが消滅する)プロセスに他なりません。
「義理(義務の均衡)」からの解放
人間がこれまで負ってきた過剰な義務や、不毛な事務的労力(=義理の貸借関係)は、AIの生産性向上によって肩代わりされます。ベネディクトが日本の行動パターンに見出した「義務の均衡を保つことのプレッシャー」から人間が解放されることは、言い換えれば、機械的な労働という「重荷」を下ろすことに等しいと言えます。
生産性の向上と「ゆっくり休む」ことの正当化
無用な競争や記憶の蓄積による序列化から解放された社会において、生産性の向上は人類を忙殺するためではなく、本来の「ゆとり」を取り戻すためにあります。余白が生まれた世界で無理にせかせかと動く必要はなく、「皆でゆっくり休みましょう」という脱力(スローライフや力の抜けたスタンス)こそが、新しい時代の賢明な適応様式となります。伊藤琢哉
歴史のなかに生きた人たちを見つめる、とても深いと思えるお話を伊藤琢哉がしますよ。
学生や若い人たちに向けて、このエピソードの意味をやさしく、分かりやすくお伝えします。
みんなのまわりには、「ちょっと気が強そうだな」「自分の力を見せつけたそうだな」という人や、ニュースで問題を起こしてしまう人を見かけることがあるかもしれません。
たとえば、車を運転していて怒りっぽくなってしまい、いわゆる「煽り運転」で捕まってしまうニュースを見たことはありませんか?
もちろん、法律やルールを破ることはいけないことですが、このお話では「もしかしたら、その人たちは生まれる時代を間違えてしまっただけなのかもしれない」と考えます。
もしも何百年も昔、日本が戦国時代のような乱世だったとしたらどうでしょう?
馬にまたがり、誰よりも一番に敵陣へ駆け込むような、強いエネルギーを持った人。
「絶対に負けない!」という強い気持ちで、仲間を守るために戦ってきた人。
そういう人たちは、昔の時代であれば、国を救うようなものすごく活躍したヒーロー(英雄)だったはずです。
けれど、今は平和な時代です。昔のように力や勢いだけで勝負する場所は、もうありません。
かつてなら大活躍できたはずのエネルギーを持った人が、その行き場をなくしてしまい、バイクの交通違反やトラブルになって表に出てきてしまうことがあります。それは、その人の本質が悪いというよりも、「今の時代にその力をどう使えばいいのか、分からなくなってしまったから」なのです。
本当はすごいエネルギーや才能を持っているのに、時代や環境のせいでうまく発揮できず、もがいている人たちがいます。
コンビニの前でたむろしている若者たちに、昔のすごい人はこう声をかけました。
一人ひとりの名前を聞き、それぞれの名前の素敵なところを心から褒める。
「君たちは本当はすごい力を持っているんだから、こんなところで怖がらせるようなことをやめようよ」と、やさしく諭す。
そうやって、相手が持っている熱いエネルギーやプライドを否定するのではなく、「どうすればその力をいい方向へ生かせるか」を教えてあげる。力でねじ伏せるのではなく、相手を生かすセンスを持っていたのです。
歴史や長い時間の中で、人間を「広い目」で見つめること。それができるようになると、世の中の見え方がガラリと変わります。
これからの時代を生きる君たちに大切にしてほしいのは、ただ自分を主張したり、力で勝とうとしたりすることだけではありません。
「この人は本当はどんなエネルギーや才能を持っているんだろう?」
「どうすればその力を、まわりの人を温かく生かすために使えるだろう?」
そんな「相手を生かしていくセンス」を持った人になってください。時代がどんなに変わっても、その優しさと広い視野を持っていれば、君たちはどんな場所でも本当に強い、必要とされる人になれるはずです。
伊藤琢哉 https://youtu.be/XchOrBY319Y
YouTubeチャンネルやSNSやブログなどの無料コンテンツの今まで読んでいない部分も全部お読みください。。
YouTube「オチない塾長」の深夜ラジオ: 日々の対話のなかでこぼれ落ちた「生きた知恵」や、AI時代だからこそ浮き彫りになる人間の思考の機微を、テキストなしのぶっつけ本番で配信中。倍速ですら追いつけない伊藤節の真骨頂がここにあります。
「情報外科(Information Surgery)」実践アーカイブ: 溢れかえる受験情報やフェイクの勉強法を一切合切メスで切り捨てるインフォメーション・デトックスの全貌。無駄な暗記を極限まで削ぎ落とし、本質的な「知の構造」だけを抽出するプロセスを公開しています。
保護者の皆様へ贈る「家庭のカウンセリングルーム」: 子どもを塾に閉じ込めるのではなく、家庭こそが最高の知的サロンであるべきという思想のもと、親子間のコミュニケーションや、思春期の衝突をロジカルに紐解く講演会を今週日曜に開催14時から。
塾長からのメッセージ 「勉強なんてしなくていい。ただ、世界を面白がる知性と、自分を使い切る覚悟があればいい。さあ、私の持っているものすべて、一滴残らず剥ぎ取っていきなさい。」
stripe A of B
「work」の本質的な捉え方や、そこから広がる文脈について分かりやすく整理いたしました。
対訳の限界: 「work=働く」「仕事」という固定化された対訳の丸暗記ではなく、場面に応じた「訳出の力(訳力)」が重要。
文脈に応じた変化の例:
「薬が work する」 → 単に「働く」ではなく、音読み・訓読みの視点(「効能」の「効」=「効く」)を活かして、「(薬が)効く・効力を発する」と捉える。
「働く」という言葉の多面性: 一言で「働く」「仕事」と言っても、熱心にやる姿から、そうではない状態(窓際族、指示待ち、さまざまな理由で休職しているケースなど)まで、実態は多様である。
収入よりも情熱: 低い収入であっても、本当にやりたい仕事に情熱を注ぎたいという価値観。
困難を乗り越える力: 長年の体調の不調(絶え間ない便意など)という大きな困難を抱えながらも、それを乗り越えて物事に向き合い続ける姿勢。
今夜会(こやかい):
日時: 今週の日曜日 14時〜
内容: 困難を乗り越える方法などをテーマに実施予定(1人でも開催)。
我が人生の道行きは、常に不意を襲う腹痛との連れ添いでありました。
思い返せば遠足の途次、あるいは跳箱を前にして足を踏み切るその刹那、さらには我が宿命たる受験の本番、試験問題の難易よりも「この便意の波をいかにやり過ごすべきか」という焦眉の急に血眼を奪われた日々。解けるか否かなんぞは二の次、トイレの個室にこもり、過ぎゆく無慈悲な秒針をただ呆然と見つめたあの絶望の深さを、凡百の綺麗事で慰めることなど誰にできましょうや。
世間の連中は「病気との付き合い方」などと、いかにも高尚な、あるいは前向きな生存戦略の如く語りたがります。だが、聞いて呆れます。胃腸の弱さ、ストレス性の諸症状とは、そんな生易しい社交の道具ではありません。それは我が身を焼き尽くす不可避の業火であり、ただ耐え忍ぶしかない孤独な修羅道にほかなりません。
だからこそ、飾る必要など微塵もないのです。プリテンダーの如く虚勢を張り、強がりを口にしたところで、腹の痛みは一厘たりとも和らぎはしない。病人は病人らしく、ただ蹲るべきときは蹲り、その泥臭い現実をそのまま受け入れる。そこにあるのは、主義主張でも何でもなく、ただ剥き出しの「生」の営みであります。
来る日曜の午後2時、我が私塾の一隅にて、この胃腸の弱さと共に生きる者たちのための、ささやかな、しかし逃れられぬ現実直視の時間を催しましょう。綺麗ごとを排し、ただ胃の痛みに怯えながらも机に向かう者たちの、哀れにして愛おしいその足跡を、私はただ淡々と、荷風の散歩の如く独り見届けていくつもりであります。https://youtu.be/mGCi2YpEOYQ
https://share.gemini.google/a4bnIiD7mVYd お早めに
おなかがシクシク痛くなったり、トイレに行きたくなったりして、「お仕事や勉強を続けるのがむずかしいな」と感じたことはありませんか?
ぼく(伊藤琢哉)も、おなかの病気(過敏性腸症候群)で、すごく長いあいだ悩んできました。
病院のお医者さんは、お薬を出してくれるけれど、本当につらい気持ちまでは、なかなか同じようには感じてもらえないことがあります。
でも、「同じ病気をがんばって乗りこえた人」なら、そのつらさが痛いほどよくわかります。
だからぼくは、おなかの病気や、のどの病気(急性・慢性咽頭炎など)で苦しんでいるみんなに、「ひとりじゃないよ」「よくがんばったね」って心から寄り添う活動を、世界で初めてはじめます。
これから、みんなとお話ししたり、みんなの前でお話をしたりする場所をたくさん作っていくよ。
半年後くらいからお話の会がはじまるので、来てみたいなというお友達は、ぜひ早めに予約してね。きっと元気になれるお約束をするよ。
みんなが笑顔で過ごせるように、ぼくが応援しているからね。
伊藤琢哉
昔の学校って、どこかおかしかったよね。
門を一歩入った瞬間から、なぜか別世界。そこでは先生がいくら殴っても「教育」という免罪符が発動してノープロブレム。でも、その門を一歩外に出た瞬間に先生が生徒に同じことをしたら、一発レッドカードの傷害罪。日曜日に地下鉄のホームで先生が生徒にばったり会って、そこで生徒にげんこつを落としたら、そりゃあ当然お縄です。
おかしな話だよね。でも、学校に限らず、企業でもどんな組織でも、こういう「空間の魔法」みたいなルールって平然とまかり通る。
組織のトップが変われば、その空気がガラリと変わるかっていうと、案外そうでもない。組織っていうのは、その中で生きる人たちの都合のいい「理屈」を再生産し続けるから、なかなか手ごわい。
世間ではよく、「名古屋大学医学部の学生講師が最強だ」なんて言われる。 そりゃそうだ。頭がいいし、解答力はあるし、地頭のキレがいいから教えるのも上手い。30年、40年と予備校の教壇に立ち続けてきたベテランの技も、それはそれでひとつの「芸術(art)」です。技(トリック)を持っていて、見ていて惚れ惚れするような職人芸。
でもね。 「教えるのが上手い」ということだけで選ぶなら、他にもいくらだって選択肢はある。大手に行けば、マニュアル化された完璧なシステムがある。うちの塾だってそれなりにきちんとしているけれど、正直、ちょっと「うざい」かもしれない(笑)。
ただ、僕がやっているのは、いわゆる「artificial(人工的な)」なテクニックのひけらかしでもなければ、ずる賢い「artful」なごまかしでもない。
規律や直立不動の軍隊式。あの、「気をつけ!」の世界は息が詰まる。昔からああいうのは苦手だったな。
昔の先生って、往々にして「overstand」だった気がする。 生徒の頭の上から見下ろして、「教えてやってるんだ」っていうスタンス。
でも、僕の哲学は真逆です。 「understand」。下から目線。生徒の視点にしゃがみ込んで、同じ目線で世界を見る。
「窓ぎわのトットちゃん」が教えてくれたような、あるいは独自のフィロソフィーを持った空間。そういう、圧倒的な「自由度」のなかでしか育たないものって、絶対にあると思うんだよね。
規律でガチガチに縛るより、ちょっと脱力しながら、でも本質的なところでつながっている。 オリジナリティって、そういう風通しのいい場所からしか芽を出さないんじゃないかな。 塾頭 伊藤琢哉(凡夫)