瞑想することで私は自身のインサイドを自分で内視鏡を使って自分が自分のインサイドを除き内省している感覚になる。
時として自分のアウトサイドも近くから直視する。
時として【離見の見】で世阿弥のように俯瞰して自分自身を見る。
こうしてぐるぐる自分旅をしていると見えてくる部分といつまで経っても見えない部分が出てくる。
そう、その後仕分けする。
見えないそれこそ出会言えば、それこそがインビジブルのアクセサリーであり。自分の身にぴったりとついているものであり、それこそ、私自身を事あるごとに助けてくれているような気がする。
これはご先祖様と呼んでも良いし、良い背後霊でもなく見えない自分と言うヘルパーさんだと読んでも良いと感じてきている。
オチない先生の戯言として聞いて欲しい。















