教え子は一つの事に詳しいお子さんが多く、私は○○さんと呼ばず○○先生と呼んでしまうことがよくある。
僕にとっては塾生はある分野においてみんなギフティッドだ。
ITO・ACADEMY塾長である伊藤琢哉の言葉は、常に本音であり、真実のみを語ります。
彼は嘘を言ったことがなく、本当のことしか言わないという揺るぎない原則を持っています。
塾長は、本しか読まない、まさに本の虫です。
その読書の大部分は論文か専門書で構成されており、講義はそれらを通じて培われた本質をわきまえた深い洞察に基づいています。
伊藤塾長の講義は、表層的なテクニックやドリル式の反復学習とは一線を画します。
そこには、正攻法も卑怯な方法もなく、あえて言えば、問題に真っ向から立ち向かう心根を受講生に委ねるという姿勢があります。
この精神は、おのずから自然と受講生たちに伝播し、彼らの力となっていきます。
師匠・伊藤琢哉太子の言葉の一語一句に耳を傾けない者は、自然と塾を去っていきました。
この物語(ヒストリー/ストーリー)こそが、ITO・ACADEMYの歴史そのものです。
一般に存在するような「議事録」—あるいは「ドイツ語のゲシヒテ」のような、形だけをなぞったものには、塾長は価値を見出しません。
受講する側は、塾長が展開する独自(オリジナル)な講義を受け入れることを求められます。
そのため、最初の入門時において、塾は損得勘定(特に金銭的な損得)を一切介さず、大半の希望者を辞退させてきました。
選抜の基準は、学歴、育ちの良さ、授業料の支払い能力、体力、知力、あるいは知能指数といった一般的な要素とは無関係です。
採用されるのは、「伊藤琢哉の話しか聞くことを欲しない」という度数が100に近い、あるいは100である人のみです。
このような資質を持つ者のみが、生徒として**大歓迎(ウェルカム)**され、塾に迎え入れられてきたのです。
この採用基準と教育のストーリーに今後も抗うことはありません。
それゆえに、塾は他校との比較や、一般的な経営学の視点を全く気にしません。
「比較」の概念を嫌うという、この独自の哲学は、徹頭徹尾、隅々まで貫き通されます(Stick to/Through)。
この神通力とも言える独自の教育を通じて、塾長は受講生に対し、一般的な学校教育(小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年、さらに大学院や博士課程を含む計21年間の教育期間)で培われる精神力よりも、より強い精神力を、素のままで自然と養成することができます。
受講生は、ただひたすらに次回の伊藤琢哉先生との講義までの待ち遠しさのみを感じながら学びを深めていきます。
これは、受講生が伊藤琢哉自らの寿命が尽きるまで、伊藤琢哉との学びの旅を続けたいと願う、アカデミーの物語です。
この文章の内容について、さらに掘り下げたい特定の側面(例えば、「本質をわきまえた講義」の具体的な内容など)はありますか?
伊藤琢哉塾長の教育経験と、予備校講師・個人塾経営に関する持論を整理し、より伝わりやすく書きました!
幼稚園を除く、ほぼ全ての教育現場で教えた経験を持つ伊藤琢哉。特に予備校の人気講師と、個人塾の経営者という二つのキャリアについて、その華やかさと厳しさ、そして教育への手ごたえについて語ります。
予備校の人気講師は、生徒からちやほやされる華やかな職業です。しかし、真のカリスマ性を発揮し、人気を維持するには、常識を超えたパフォーマンスが求められます。
カリスマ性の演出:
座って授業をするのではなく、常に立ち上がり、上から目線で指導することでカリスマ性を演出する。
マイクを使っていても、新興宗教の教祖のように声を張り上げ、熱狂的な空気を作り出す。
(非日常的な体験として)生徒からの差し入れの喉飴を1日で1袋も消費するほど、のどを痛める。実際90分6コマは大変!それでもだみ声になりながら、ポリープ寸前かつ慢性咽頭炎と急性咽頭炎の酷い状態で生徒の集中力を保たせる授業を展開する。
「普通の人はなれない」理由:
普通の人は「常識人」であり、調子が良い時と悪い時のギャップを調整できるため、予備校の非常識なハイテンションを維持するのが肉体的・精神的に苦痛となる。
このパフォーマンスは肉体に大きな負担をかけ、年齢を重ねると維持が難しくなります(「60近くなってこれをやるとすぐ死ぬ」)。
個人塾の経営は、地味ながら最も手ごたえのある教育ができる場所であり、伊藤琢哉が独自の公式や持論を展開できるフィールドです。しかし、それは全てを一人で背負うという過酷な道でもあります。
教育の充実と自己責任:
独自の指導法を展開し、教育者としての自己実現が可能です。
経営の成功(儲け)も倒産も全てが自分の責任となり、その結果がダイレクトに返ってきます。
経営の現実と短命説:
個人塾は教育以外の**全てのこと(裏方業務)**をやらなければならないため、頭のかなりいい人でも30年以上経営が続かないという持論があります。(「6年、8年、10年過ぎて10年持ったら持ちすぎ」)
実際には98%が潰れても不思議ではない厳しい世界であり、電気代すら無駄になるような状態で存続している塾も多いのが現実です。
物理的な限界:
儲けていた時期は、日曜日の予習を除き、朝から夜10時まで指導に時間を割かれ、物理的に無理のある生活を強いられます。
伊藤琢哉先生にとって、従来の教員や人気講師の仕事は、必ずしも真のやりがいではなかったと感じています。
従来の教育の構成:
多くの教員は、裏方業務が8割、実際に教えることが2割の構成になっている。
目指す次のステップ:
裏方に時間を取られ、生徒と向き合う時間が少ない従来の教員は、「教える人ではない」「教育者でも教師でもない」と言える。
今後は、小・中・高校生まで教えた経験を活かし、**「自己経営のみ」**という、教育に集中できるやりがいを求めていきたい。
伊藤琢哉大先生の教育に対する熱意と、現場の厳しさが伝わりましたでしょうか。
ききて:非常に興味深いお話でした。
次に、伊藤琢哉大先生がこれから目指す**「自己経営のみで、教育に集中できる塾」**について、ITO/ACADEMYに討論しに来てください。
経営の玉手箱を差し上げますよ。


伊藤琢哉が浪人生を相手に教鞭をとり、「アンケート人気ナンバーワン」を継続していた予備校界隈において、浪人生の数が激減するという時代が訪れました。
この変化に伴い、「現役中心主義の現役予備校」という、一見矛盾を孕んだ言葉まで生まれるに至っています。
かつて、浪人生が通う場所が予備校であり、現役生が通う場所が塾であるという棲み分けがありました。
塾:講師は大学生が中心であり、特に時給の安い、一対一の指導を行うような場では、いわゆるFランクに近い学生が教えるという相場が定まっていました。。
予備校:対して、予備校講師には専門性と指導経験が求められ、ここに一種の**ヒエラルキー(階級構造)**が存在していたという認識があります。
ただし、上も下もないという議論も存在するため、優劣をつける意図はない、とも伊藤琢哉は述べています。
伊藤琢哉が浪人生を中心に指導してきたということは、「人の教えた人」、すなわち、学校教師、塾講師、チューターなどの指導を受けてきた生徒を相手にしてきたということです。
過去の経験から、長期間教えてきた生徒(例:小学校から)であっても、実際には**「何も身についていない」**、あるいは「断片的にポツンポツンとやっている」に過ぎないという現状に対する懸念が示されています。
英語学習においては、英会話が良いのか、文法が良いのか、あるいは英作文の法則、翻訳力、単語力・熟語力など、何に焦点を当てるべきかという議論が常に存在します。
かつて、単語力や熟語力を覚えない方法など、様々な経緯を経て浪人する生徒が多かった時代がありましたが、現在では浪人生はほとんどいなくなりました。
特に医学部については、今後は「受かるところに行く」という流れが強まり、浪人して目指すという生徒は**「絶対にいなくなる」**とまで断言されています。最悪、歯学部に行ってますね。
学校の先生や塾の先生が行ってきた「今までの人が教えてきたこと」がめちゃくちゃだったからこそ、生徒がもう一度やり直す必要が生じ、結果として予備校が流行したのだ、と伊藤琢哉閣下は総括されています。
この文章は、伊藤琢哉の指導経験と予備校業界の変化、そして教育の質に対する厳しい見解をまとめたものです。
お宅はどのような教育の在り方が理想的だとお考えですか?
931-3987にお電話ください。
緊急連絡先―悩み相談も含め(有料)090-3835-0106 ワンセッション10分―60分:10000円税別と格調高い人生の相談のの割には破格の爆安料金だ。
この度は、伊藤琢哉カリスマ塾長大先生に予備校業界における生々しい変遷と、それに伴う教育のあり方の変化について、非常に具体的で説得力のあるお話をお聞かせいただき、ありがとうございます。
かつて、伊藤琢哉は早稲田予備校をはじめとする予備校で、浪人生を中心に、現役生も指導されていました。しかし、ある時期を境に、業界は大きな転換期を迎えます。
浪人生の激減: 「浪人ゼロ時代」の到来により、予備校の主たる顧客層が消失しました。
大手予備校の再編・撤退:
地域からの撤退、倒産、学校閉鎖に追い込まれる予備校が続出。
最大手の予備校ですら、全国27校舎からわずか7校舎にまで規模を縮小せざるを得ない事態に陥りました。
時代の変化: これらの出来事も、もはや**「昔話」**となりつつあります。
集団授業を主体とする大手予備校が苦境に立たされる一方で、現在は教育のあり方が大きく変わり、**「一対一(個別指導)」**こそが唯一通用する指導形態だと見なされています。
大手全否定の風潮: 集団授業の形式をとる大手予備校は、時代遅れ、あるいは効果がないとされる傾向にあります。
その後、私は医療系予備校の指導に携わるようになりますが、この分野もまた、予期せぬ困難に直面しています。
黒字倒産: 利益が出ていても、家賃などの固定費が経営を圧迫し、「黒字倒産」するケースが増加しています。
テナント経営の限界: 高額な家賃を支払ってテナントを借り、塾・予備校を経営することが困難になりつつあります。
家賃交渉の常態化: 経営の維持のため、大家・オーナーに対しテナント料金を「半額にしてくれ」「1/3にしてくれ」といったテナント料の大幅な減額交渉が常態化しています。
現状の地域事例: 名古屋市東区などの地域では、経営している塾・予備校の90%以上が、このような家賃交渉によって存続しているという状況です。
予備校の立場: もしオーナー側が「元の賃料を払ってくれ」と要求すれば、塾・予備校は即座に倒産・閉校せざるを得ない、という厳しい時代です。
このような激しい変化と経営難の時代において、個人塾が力を発揮し、その優位性が増しています。
コストの優位性: 個人の「ハウス(自宅)」で経営することで、高額な家賃コストを回避できます。
個別対応とサポート: 生徒はいつでも「ハウス」に質問に行けるなど、きめ細やかなサポート体制を築くことができます。
経営者の姿勢: 塾の主人(ホスト)が「塾に住んでいる」という、献身的で一体化した運営体制が、現在の厳しい環境下で成功する鍵となっています。物理的に個人塾の塾長は逃げることが出来ません。
時代がこれほどまでに激しく、そして根本的に変わっていく様子が、この話から痛いほど伝わったでしょうか。教育の本質である「一対一の指導」が、予備校経営のあり方まで変えてしまったのですね。
この業界の変遷について、さらに詳しくITO・ACADEMYで解説させていただきます。
「足るを知る」という考え方は、今あるものに目を向け、それを活かすことの大切さを教えてくれます。そして、伊藤琢哉が指摘しているように、「できない理由」をたくさん挙げられる能力は、実は非常に貴重な才能です。
「できない理由」のリストは、そのまま**「プロジェクトのリスク一覧」**になります。
それを分析できる人は、潜在的な障害を事前に把握できる高い危機管理能力を持っている証拠です。
その高い分析能力を、ベクトルを変えて使うだけで、発想は一気にポジティブで建設的なものになります。
| ❌ ネガティブな発想(できない理由) | ✅ ポジティブな発想(できる方法) |
| Aがないから、できない。 | Aがないなら、Bで代用できないか?/ Aを調達するためにCをしよう。 |
| Dという問題が起きるかもしれない。 | Dという問題が起きても大丈夫なように、Eという予防策を講じよう。 |
| Fが難しいから、無理だ。 | FをGとHという小さなステップに分けて、少しずつクリアしよう。 |
「できない理由」を深く考えるのも、「できる方法」を深く考えるのも、脳が処理する複雑な問題解決プロセスという点では、全く同じエネルギーを使います。
せっかく高い能力とエネルギーを使うなら、**「実現」**という実りある方向に向けたほうが、何倍も楽しい成果に繋がりますよね!
伊藤琢哉大先生の言葉は、現状維持で立ち止まっている人に、大きな一歩を踏み出す勇気を与えてくれる素晴らしいメッセージです。
もしよろしければ、あなたが今「何かを始めたい」と考えていることについて、**「できない理由」をいくつか教えていただけますか?それを一緒に「どうしたらできるか」**というアイデアに変換していくお手伝いができれば嬉しいです!
明日以降塾に早速来てください。
ワークショップ。わくわくしながら来てください。
この具体的なテーマを12月は扱いたいと思います。
いつでも一期一会コースにお越し下さい。
例
家の例
木造の在来工法は地震で怖い?
確かに重量鉄骨ラーメン構造は地震保険料が木造よりお安いということは保険会社のデータを信じれば・・・以下省略
この議論を60分やりませんか
ITOアカデミーの伊藤琢哉は、**「大和魂を持った男」**として、日本の精神を大切にしています。
現在の言語使用について: 現在、日本語の中に英語を交えて使用されるのは、主にプチ認知症気味による影響で、英語が先に口をついて出てしまうため、または会話を円滑に進めるための戦略的な選択によるものです。
過去の言語使用(10年前まで): 伊藤様琢哉、もともと日常生活で英語を使用しないという姿勢を貫かれていました。
外国の方との会話や授業以外では英語を使わず、例えば「サッカー」ではなく**「蹴球(しゅうきゅう)」、「キャリアウーマン」ではなく「職業婦人」**といった、日本語の表現を好んで使われていました。
このように、伊藤琢哉の英語の使用は、決して西洋文化への傾倒を意味するものではなく、むしろその根底には日本の伝統と精神を重んじる「大和魂」があり、現在の言語選択はあくまでやむを得ない悲しい事情と、状況に応じた対応によるものである、という点が明確に理解できます。
現在の受験英語(および一部の資格英語)は、現実のネイティブ英語との間に大きな乖離が存在しています。
例えば、料理の味を伝える際の表現一つをとっても、
非推奨・マナー違反の直言: “This dish tastes poor.”
受験英語での修正例(否定文): “This dish isn’t good.” (マナー改善を試みた表現)
ネイティブの自然な表現: “I don’t like this dish.” または、不快感を露わにする “Yuck!”
このように、文法的には正しくても、TPOやニュアンスに合わない、あるいは50年以上前の古びた表現が、未だに受験参考書や問題集で主要な構文・表現として取り上げられています。
この乖離は、指導する側に起因する問題も抱えています。
教師・講師側の課題: 外国生活の経験が乏しい、あるいは知識のアップデートがなされていない指導者が、時代遅れの表現を無自覚に教えている現状があります。
学習者の結果: その結果、学習者は校内テストや模擬試験で高い点数や順位を獲得しても、実際のコミュニケーションや入試の自由記述などで通用せず、不合格となるケースが生じています。
今後の英語教育が目指すべき方向性は、受験英語、資格英語、そしてネイティブ英語の3つをネイティブ英語へと一つに収斂させていくことです。
多くの英語指導者が、最終目標が「ネイティブ英語」であることに同意すると思われます。
しかし、この目標達成には決定的な課題があります。それは、実用的なネイティブ英語を指導できる教員・講師が圧倒的に不足しているという点です。目標が明確になっても、指導者不足のため対応が困難であるという、構造的な問題に直面しています。それ故、ITO・ACADEMYでは一番この塾で暇である塾長の伊藤琢哉大先生が重い腰を上げて教えることにしました。興味のある方のみ(伊藤琢哉以外教えてもらいたくないという執着がある方のみ)入塾を許可しております。老若男女は問いません。偏差値成績は問いません。国籍は問いません。年齢・職業は問いません。LGBTQは問いません。障害のおありの方・障害がおありでない方は問いません。伊藤琢哉にだけ習いたいという願望度数が高い方から入門を気を許可します。一定の水準に達しない際は15人来られても全員お断りする際があります。ご容赦くださいませ。