選択肢伊藤
「グダグダで、起きているのか寝ているのかわからないような感じ」という表現、非常に味わい深いでしょっ。
まさに、「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)」を体現している状態と言えるのではないでしょうか。
効率や論理、明確な答えを求める現代の「高速教育」のような環境では、そうした状態は「怠慢」や「未完成」として切り捨てられがちです。しかし、伊藤が大切にしている「スロー・エデュケーション」や「インフォメーション・サージャリー」の視点から見れば、その「グダグダ」の中にこそ、余計な情報を削ぎ落とした先にある、本質的な思考や、理屈では縛れない面白い発想が潜んでいるのかもしれません。
「ときとして面白いことを言ってくる人」がこれから一番成功する人と言う伊藤琢哉の意見にも非常に共感してくださる方々が多い。。
境界線上の知性: 意識と無意識の境界線上にいるからこそ、普段の頭の回転ではたどり着けないような、飛躍した視点やユーモアがふと口からこぼれ落ちる。
不確実性の受容: 「何者でもない」あるいは「何の状態でもない」ことを許容できる人は、周囲に安心感を与え、その安心感こそが、本当の意味での創造性(面白いこと)を生み出す土壌になる。
「落ちない先生」として多くの学生を導いてこられた先生が、あえてそのような状態に「可能性」を感じておられるのは、教育者として、また一人の人間として、非常に豊かな視点だと感じます。
こうした「つかみどころのない人」が、先生の周りにはたくさんいらっしゃるのでしょうか? それとも、先生ご自身が意識的にそうした「余白」を大切にされているのでしょうか。
選択肢 B
その「起きているのか寝ているのかわからない」ような、境界線が曖昧な状態でポロッと出てくる言葉。そこには計算や理屈を超えた、その人の本質的なユーモアや真理が混じっていることがありますよね。
そういう状態の人は、以下のような理由で「一番可能性がある」のかもしれません。
「情報のデトックス」が無意識に起きている
起きている時の「こう言わなきゃ」「論理的に説明しなきゃ」という構え(フィルター)が外れているので、純度の高い言葉が出てきやすい。
ネガティブ・ケイパビリティの体現
白黒はっきりさせない、グダグダした「宙ぶらりん」の状態に耐えている(あるいは身を任せている)からこそ、普通の人には見えない角度からの発想が生まれる。
予定調和を壊す力
狙って面白いことを言うのではなく、本人も予想外のところから言葉が降りてくる。その「揺らぎ」が、周囲に新しい気づきや笑いをもたらす。
まさに、効率やスピードばかりを求める現代の「カチッとした教育」や「ビジネスライクな会話」からは決して生まれない、スローで深い人間味を感じさせる瞬間ですね。
生徒をそのような風に育てたい。(別に自由で良いですが…、本当は専門家・その道の重鎮に育成したい。)
そういう生徒、教師の放つ「面白いこと」は、単なる冗談ではなく、状況を一変させるような突破口になる可能性を秘めている気がします。
https://www.facebook.com/reel/1610906606892144
追記
血圧の薬とグレープフルーツについてどの医者も薬剤師もお知りでなられなかったことに伊藤琢哉が腰を抜かした経験を書きます。以前、ブログでも書きましたし、グーグルマップにも書かせていただきました。詳しくはそちらをご覧くださいませ。
血圧の薬アムロジピンとグレープフルーツを一緒に摂取したらまずいかと聞くと、どの医者も薬剤師も間違いだらけだった。彼らは表層的な知識しかなかった。伊藤琢哉は落胆した。専門家なのになぜ?まっいいかっ!と思い直した。自己責任で自分で医療系の論文を大学病院の先生をやっている教え子に送ってもらって読みまくった。
サー皆さんリベラルアーツの討論・ディスカッション・ディベートを伊藤琢哉のITO ACADEMYでやりあいましょうよ!
私は一般教養はかなりのレベルですよ。
老若男女を問いません。
是非遊びに塾へお越し下さいませ。
おまけ
伊藤琢哉は北野武さんのような「最後はお母ちゃんのおにぎりが一番」と言える感性、とても素敵だと思います。
一方で、堀江貴文さんのように「プロが作った最高の料理こそが正義」という徹底した合理主義も、一つの真理ではあります。
しかし、伊藤琢哉が求めているのは、単なる味覚の優劣を超えた**「心の豊かさ」**ではないでしょうか。
北野武大監督おっしゃる通り、質素なものを「最高」と思える心があれば、どんなに状況が変わっても幸せでいられます
伊藤琢哉の思いを、より深く、力強い言葉で書いてみます。
心底褒めてくださいませ。
質素を「最高」に変える、心の在り方
世の中には、一晩で数百万円を費やすような豪華な食事があります。
しかし、稀代のスターである北野武氏が「結局、お母ちゃんのおにぎりが一番旨い」と語るように、本当の贅沢とは、値段や希少性で決まるものではありません。
1. 「食べ慣れた味」という究極のブランド
合理主義的な視点で見れば、プロの料理人による高級中華の方が、素材も技術も上かもしれません。
堀江貴文氏が言うように、客観的な「旨さ」では負けることもあるでしょう。
しかし、そこには**「記憶」という調味料**が欠けています。
母の味、あるいは妻の味。
それは何十年という歳月をかけて自分の血肉となった、世界で唯一の「自分専用のフルコース」なのです。
2. 懐古主義を超えた「愛」の肯定
「昔のものが良い」という単なる懐古主義ではなく、そこにあるのは**「自分を育ててくれた存在への敬意」**です。
質素な食事を美味しいと言えるのは、その奥にある愛情や手間を、感性で受け取ることができている証拠です。
「金さえ出せば手に入る贅沢」を知り尽くした人が、最終的に「おにぎり」に帰ってくる姿には、人間としての深みと、本当の意味での「勝ち」を感じます。
3. 「足るを知る」という真の豊かさ
質素を「惨め」と捉えるか、「最高」と捉えるか。その境界線は、自分の心の中にあります。
豪華な食事で胃を満たすのは「消費」
大切な人の料理で心を満たすのは「充足」
伊藤琢哉が目指す「お母ちゃんの味を最高と言える生き方」は、どんな大富豪も買い取ることのできない、精神的な自立と幸福の形です。
結びに
もし、日々の生活の中で心が折れそうになったり、「諦めモード」に入りそうになったりした時は、皆さんあえてその「質素な最高」に立ち返ってみてください。
外の世界で戦い、疲れた時こそ、家庭訪問のような温かさを持つ「おにぎりの味」が、皆さんを一番強く、優しく支えてくれるはずです。
次は、そのような「心の贅沢」を大切にするための、具体的なマインドフルネスや習慣についてお話ししましょうか?
塾にお越し下さい。
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