夜、電燈の薄気味悪い青白い光の下で、ふと己の過去を振り返ってみる。……いや、振り返るまでもない。私の人生は、いつだって泥沼だったではないか。
一体どうだ。万事休す、万策尽きた、もうおしまいだという、あのどうしようもない絶望の底で、私たちはもがいていたはずだ。だが、待てよ。その絶望の底で、ただ絶望に溺れて指をくわえて見ていたわけでは決してまい。
「おい、あの時のあれはどうやって切り抜けたのだ?」
不意に自分自身に問いかけてみるのだ。するとどうだろう、記憶の引き出しの隅から、泥にまみれながらも這い上がってきた生々しい手口が、いやらしいほど鮮明に蘇ってくるではないか。
「なるほど、あの時はこうやって切り抜けたのだな」
そう腑に落ちた瞬間、奇妙なことが起きる。その煤けた過去の悪あがきこそが、いま目の前にある絶望をひっくり返し、あっと言わせるための、得難い武器になるということに気づくのだ。いや、むしろ、これから図太く成功を掴み取るための、これ以上ない上等の手札に化けると言ってもいい。
考えてもみたまえ。人間というのは、どん底の時期、すなわち「損益分岐点」という名の残酷なゼロの地点にへばりついているものなのだ。そこにはプラスの貯金など一銭もない。あるのは冷徹なマイナス、泥水、そして冷笑ばかりだ。
だが、どうだ。失うものなど何一つないという強みは、かえって恐るべき爆発力を生む。マイナスしか存在しないからこそ、私たちは狂ったような勢いで、一気にプラマイゼロ、いや、それ以上の高みへと引き戻してくることができるのだ。あの凄まじい推進力を思い出してみるがいい。
そうさ、あの地獄のようなリカバリーの感触さえ思い出せばいい。私たちは、いつでも、何度でも、その手でこの大逆転劇を演じてみせることができるのだから。










