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★合格ポイント1
憧れの濁職にまっしぐら
教師という職業は、冷やかし、皮肉を込めて聖職とか言われますよね。
それに対して予備校講師というのは、まさに唾を吐きかけられるような生業ですよ。
つまり、苦界に身を沈めるという言葉があるけれども、濁職ですよ。
私は似非エリートサラリーマンから聖職も経ず濁職に一直線に落ちた。
その時に世の中が違って見えたんですよね。【病院で大きい手術をした人ほど奇跡からの生還だとか、
錯覚を見たり、世界が違って見えたりというのと、たぶん同じだろう】
その時に一番感じたのは、まさに坂口安吾が指摘したことだと思いますが、それが’生きるということ’だと。
それでも伊藤琢哉は伊藤琢哉であるというように態度が変わらない人ばかりだったんですよ。
腹黒いお方で、一部、資本主義の犬から高等遊民的な仕事に変わったと、内心、思った人もいたかもしれないと思っています。
安吾自身がそう言っていたと記憶していますが、かなり若いときから、ある種の落伍者になるという傾きがあったらしい。
実は不肖私めも、相当根強く一貫して落伍者願望というのがあったんですよ。
階段があるとしたら、なんか上のほうに行きたくない。
仮にある程度まで行ったら、ちょっと転がり落ちてみたい。
そういう落伍者の感覚、願望がずっとある。
ひょっとしたら、今も落伍しているのかもしれませんがね。
いや落伍している。
それはたぶん生まれながらのものなんだけれども、私の場合から類推すると、安吾もおそらく生まれながらじゃないかと思うんだよね。
生きるということ、生活というのは、決して生き生きと生きるとか、みんなで一緒に仕事をするというんじゃなくて、生きれば生きるほど、如何ともしがたい孤独にさいなまれるということがあったんだろうと思いますよ。
4つの動機
動機には4つある。
1、目的合理的動機
2、伝統的動機
3、価値合理的動機
4、感情的動機
◆医者になりたいという目的があって医学部を受けるなどが目的合理的動機
◆親が不動産屋だから明海大の不動産学部へ行くなどが伝統的動機
◆日本一偏差値の高い大学に価値を置くからこそ東大に行くなどが価値合理的動機
◆慶応ボーイ、立教ボーイ、同志社ボーイ、関学ボーイという異性にもてたいという感情からこれらの大学に行くなどが感情的動機
動機は何であれ頑張れ受験生!!!!!!!!!!
伊藤琢哉がアシストします。
さーエンジン全開高速回転絶好調ぶっ飛ばそうぜー!!
コロナ問題に対しての熱狂を排しようとすることは廃止せよ
結論から言うとコロナ問題に対しての熱狂を排しようとすることは廃止せよと思う。
理由はいたって簡単。
コロナ問題に対しての熱狂を排することにおいて熱狂しなければならなくなるから。
さてこの世は矛盾だらけ。
この衝突する矛盾の中でバランスを取らねばならない。
つまり、非常に冷静でなければいけない。
コロナ問題はいろいろ矛盾点が多いが一番大切なのは【冷静でいること】【覚悟】というキーワードだと思う。
でもこの【バランス】。
もし熱狂がなければ【ああでもないこうでもない】というような足して2で割るだけに陥ってしまう。
つまりそんな【半端な折衷】だったら、いらん。
例えば【コロナ問題】
【例えば9月をめどに完全に収束させる】といった理想主義は排さなきゃいけないのはこれをお読みの生徒様もお分かりですよね。
でも自分なりに【近い将来にはコロナ問題を収束させる】という理想を見て、まっすぐ前を見ながら歩かないと(いつまでもおびえてはいられないので、)バランスが取れないという矛盾をいつまでも抱えて歩いていく必要があると伊藤琢哉は思うのです。
ひょっとして【永遠に解決できないかもしれない】ある種、面白い矛盾の中にいるんですね。
そうでも思わなきゃこの厳しい現実を生きていけない。
もっと卑近な例をあげましょう。
【綱渡りの曲芸師】
緊張感を持って歩いて行かないと、綱を渡れないどころか、おそらく綱を渡るときに、下を見たら落ちると思うんです。
若い子は緊張感を持って暮らしていかないから【コロナ】になる。
ここで伊藤琢哉は考えてみた。
過剰なリアリズムで、俺はどんな綱の上に乗っているんだろうと下を見たら、真っ逆さま?!
まっすぐ前を見ないといけない。
でもまっすぐ前を見るというのは、視線の先に目的地を見ているということですよね。
目的地というのは【理想】=【コロナ菌撲滅】ですな。
個性教育なんてくそくらえ
みんな個性を持って生まれてきているわけで、教育という大いなる力で教育者の期待する個性を作ったらうまくいきかけても全員が没個性化し、完全にうまくいかないため、どっちみち、みんなそれぞれだということで終わってしまうと思う。
持って生まれた個性を学校が壊したため伸びるものも伸びずということで学校の責任はおおきい。
伊藤琢哉は、恥ずかしながら、超個性的だと、良い意味でも悪い意味でもよく言われる。
ここで言う個性はマイノリティーを指していると思う。
でも本当はちがう。
個性とは、普通の事だ。普通でいいんじゃないかと思う。
っていうか個性的つまり普通 でない人なんかいないと思うよ。
みんなそれぞれだねというのはどういう教育をされても自明の理。
大破壊など来ない方が良いに決まっている
同級生で仲の悪い人がいた。
彼は戦争をめぐる偉大な破壊が好きだと言っていた。
伊藤琢哉は彼の意見は相いれなかった。
さて話は変わるが、名古屋も大昔と比べたら、ものすごい高層ビルが立ち並んで、ネオンがギラギラ・ギトギト。
そんな街を歩いて【大破壊よ来てくれ】なんて思っていたものは伊藤琢哉に言わせれば【平和ボケの大馬鹿野郎】なのであって・・・・
今は【コロナ問題で】誰も大破壊よ来てくれと繁華街を歩いている人はいない。
貧‣病‣争で病気が伊藤琢哉は一番つらいと思っている。
【パンデミック】なんて【最悪】である。
でもこんな時こそテトテを触れずにハートツーハートで品よくおとなしくどんな意味でも他者と距離を置いて暮らしていきたい。
実際【コロナ】問題が起きたら、【無邪気にその破壊と戯れようとは到底思えない】
いかなるアマノジャクでもそうであろう。
皆様、【コロナ】のおかげで人は人に本来備わっていた良い習性つまりおとなしくじっとしているという練習をさせられているいい機会のようだと思えてしょうがない。
おこがなしくも、シェークスピアと伊藤琢哉
シェイクスピアの【ジュリアス・シーザー】はどちらかといえば※中野好男は進歩派で、福田恒存は保守派です。
でも両極がシェイクスピアに惹かれるというのは、シェイクスピアの持つ絶対値の大きさです。
※共にシェイクスピアの翻訳者として知られる。
もちろん、伊藤琢哉の小さな絶対値にも符号をつけている人がいると思われます。
男脳と女脳を組み合わせよう。
男女の一般論で言うと、やはり女性たちの話というのは、水平運動をすることが多い。
たとえば、このケーキは1日後に腐るだろうけど、こっちのクリームパンは半日後だとか。
ケーキを3つ食うとこれだけ太るけれど、クリームパンだとどうとか。
大事なことかもしれないが、そういう話がわーと水平に広がっていく。
確かに男はこの水平の広がりを持たないし、空理空論をはいて沈没するときがあるから、女性の話にはじっと耳を傾けないといけないと常日頃から思って実践しております。
でも、やっぱりこの広がりを見るために、は、、垂直に、少し次元をずらしてみたくなる。
【これだけ広がればいいんじゃないか】とか、【三角よりかは四角に広がろう】とかを判断するためには、やはり精神の垂直運動をしないと見えてこないんです。
つまり女性の得意とする水平運動と男性の得意とする垂直運動が何とかうまくかみ合わさればまあまあだと思うんです。
引きこもりの方々は今や【コロナ】問題で時代の最先端
大学を卒業したら民間企業に就職する。といった働き方を選ぶ。もっというと、大学卒業と同時に働くことを選択するのがもはや当たり前になってしまっているのが今の日本社会です。これに凄い違和感を感じます。要はストレートに人生を歩んでいかないのはおかしい、といった価値観が蔓延している状況だと思うのです。実際、ストレートに人生を歩んでいかない人は、多くの場合で虐げられてしまいます。1度卒業してから、就職活動をしようにも、既卒となってしまった人は、多少なりとも不利を受けながら、差別を受けながら就職活動をしないといけません。そういった感じで、1度人生のレール(社会の多数派が勝手に作り上げたレール)からはみ出てしまった人は再起不能とまではいいませんけど、相当人生がハードモードに変わっていってしまうのです。
社会不適合者になることはむしろプラス?
そういった人たちは何て呼ばれるか?「社会不適合者」です。社会不適合者って聞くと、凄いイメージがよくないと思いますけど、私はそうは思いません。むしろ良い意味じゃないか?と思うんですが。私は社会不適合という言葉はホメ言葉として理解しています。それは、多くの人が歩む人生を歩まない人間にも価値は十分あると思えるからです。大学を卒業して、普通に就職を果たした人たちがみんなその後の人生を幸せに歩んでいるか?というと、もはやそうは言い切れない。というか、就職活動自体も辛いので、就職が決まるまでのプロセスも大変な道のりですよ。でも、苦労して得た就職の先に一体何が待っているのでしょうか?これは企業によりけりかもしれませんけど、多くの場合、「社畜」とも揶揄されるような、大変な労働者の酷使だと思います。結局、人生のレールに沿って生きている人たちの多くだって、苦労をする人生を歩むことには変わりないと思います。会社員でいる限り、おそらくそういう人生が定年まで続くだけでしょう。でも、就職しないという生き方を選択できた社会不適合者は、会社員に比べたら、まだ自分自身で自分の仕事を充実させられるチャンスがあると思うのです。今の時代ニートや引きこもりの方のほうが【外に出ないプロ】なので【生きやすい時代】になっており時代の最先端を行っていると伊藤琢哉は思うのです。
就職できなくても辛いかもしれないけど、就職できてもその大半は毎日が大変で、地獄の毎日の繰り返しでしょう。中には鬱病を発症したり、過労死したりと悲惨な目に遭うことだってある。そういう現実が待っている中で、どうして皆、就職を選ぶんだろうか?自分はそういう目に遭うはずがないと思っているのだろうか?今挙げた鬱病とか、過労死ってのはかなり極端な例ですけど、そこまでいかなくて、毎日残業、しかもサービス残業、給料も高くない。仕事もつまらない。上司がウザい。とか、会社に対する恨みつらみは挙げてしまえば切りがないほど積みあがってきているのではないでしょうか?現状に満足して働くことができている人って、どれだけいるのでしょうか?その中で我慢して生きられる人は良いかもしれないけど、その我慢の連続を続けることの意味が私にはよく理解できないのです。私は仕事は【楽しい】と思った経験しかなく【苦しい】と思ったことがない【ひよっこ】だからです。
毎日が大して楽しくないのに、生きるために働いてどうするの?
よく、何で働くか?って聞いたときに「生きるため」って返答が返ってくると思うんですけど、そんな人生を生きていて楽しいんだろうか?と思えるような生活をしている人っていうのが現実的にいるわけですよ。生きるため。っていうけど、じゃあ何で生きたいのでしょうか?例えば、毎日仕事づくめで、生きがいとか、楽しいこととかもあまりないし、本当に機械みたいな生き方をしている人が居たとして、その人はなんのために生きているのでしょうか?楽しい人生だから、毎日が充実しているとか、そういう生きがいがあるからこそ、少しでも生きていたい。だから、そのためのお金を稼ぐ。というのは分かりますが、客観的に見てどうして生きているのか?この先、生き続けてどういう意味があるのか?そう思えてしまうような人が、一生懸命に命をすり減らして生きるためのお金を稼ぐ意味がよく分からないのです。
社会不適合者が社会適合者を逆転する日がくるかもしれない
長く生きたいと思えるような楽しい、充実した人生だから、一生懸命に働いて生きるためのお金を稼ぐのは理解できますが、現在のところ生きがいも楽しいこともほとんどないような人がいたとして、この先同じ人生がそのまま続くだけだとしたら、それで納得いきますか?それをただ続けていくだけに毎日大変な思いをして働いて、お金を稼ぐことにどれだけの意味があるのでしょうか?サラリーマンを現在やっていて、今まさにそういう状態で生きている人がいるとしたら、多分それなりの確率でそのままの人生が続くだけのような気がします。人によっては、企業にとっては、サラリーマンとしての人生で充実した日々を送れている人もいるでしょうけど、現在そういう兆しが見えないような人は、この先もそのままという可能性はあるでしょう。私が東京海上日動をやめたのも充実した人生からは程遠いものだったからです。社会不適合者は、そういうサラリーマンになれることが叶わなかった人たちです。ただ、幸いに、それによってサラリーマン以外の生き方を自分で模索しないといけなくなりました。サラリーマンとして就職した人は、この先ずっとそれを続けていく前提でしょうし、サラリーマン以外の働き方を模索なんてしないでしょう。ですから、就職できた、できないという地点では、社会不適合者と社会適合者には優劣の差があるのかもしれないけど、それが10年、20年とか経ってみたら、その優劣の差は逆転しているかもしれない。先ほどふれた【コロナ問題で】…となったら・・・。
社会不適合者のレッテルを貼られた人の中に、成功している人も山ほどいるでしょう。サラリーマンとしてでも成功している人はいるでしょうが、社会不適合者になった方が、今の日本社会の中ではまだ未来がある気がするのです。今はフリーランスに転身する人も多いです。彼らフリーランスは、どちらかというと社会不適合者に近い人たちじゃないか?と思います。そういう意味では伊藤琢哉もフリーランスですから30年近く【社会不適格者】だったことになります。今って、従来では考えられなかった職業の人が増えている。「それって職業なの?それでどうやってお金を稼ぐの?」と多くの人が疑問に思うような職業が増えてきています。ブロガー、アフィリエイター、Youtuberなど、彼らの職業は世間一般ではまだまだ全然浸透していないと思う。ただ、世の中の流れとして、そういう多様な働き方、多様な生き方をする人が増えてきたということは、そういう土壌や環境が整いつつあるということでもあり、そういう働き方、生き方が以前よりもしやすくなってきているという現れでしょう。社会不適合者でもお金を稼ぐ手段はあります。したがって、別にサラリーマンが良いという人はそれでも良いんだけど、就職しようと思ったけどできなかった人、そもそも就職なんかしたくない人、雇われて働きたくない人は社会不適合者になる勇気を持ちましょう!それがあなたの未来を明るく照らすかもしれません。
就活ゼミナールITO ACADEMY 代表カウンセラー 伊藤琢哉
皆様のお声
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ほめること・負け戦のおぞましさ
私は生徒をめったにほめません。
が生徒が難問を解けたときには本当にうれしいので感情が先走ってほめているそうです。
自分には自覚がないのですが。
でもよく考えてみると伊藤琢哉は生徒も講師もほめることは大事ですね。
歴史をふりかえってみてもそうですもんね。
例えば、皆さんご存じの柴五郎は陸軍幼年学校でも全然勉強がダメだった。
一番の劣等生。
ビリボーイだった。
ところが、ある時フランス語の授業で柴五郎が何か答えたらフランス人教師が【トレビアン】と褒めた。
それで急に自信がついて勉強ができるようになったんでしたよね。
ここで重要なのは彼は別に青雲の志をもって東京に出たわけではないと。
ともかくこの絶望的な逆境から少しも逃れるべくたまたま東京にむかったにすぎないということの発端が良いと伊藤琢哉は思うのだ。
英語を不登校で勉強したことがない高校生が毎日何人か来ているがビリボーイ・ビリギャルにすらなったことがない方々である。
こういう方々には【教えない塾】では話にならない。
徹底的に【教え込むことができる講師がそろっている塾】で教わらないと無意味である。
教育力がある講師陣がそろっいます。君もスカイプで頑張りませんか。










