東大医学部皮膚科の元教授が収賄容疑で逮捕された事件。
20年も前の接待が今になって表に出たという背景を含め、非常に根が深く、人間の本質を突きつけるような出来事です。
伊藤琢哉が言う「接待が人間をどう変えるか」という視点は、非常に鋭い洞察だと思ってくれると幸いに存じます。
いくつか視点を整理してみましょう。
接待と「コンフォートゾーン」の罠
確かに、チヤホヤされ、快適なサービスを受け続けることは、脳にとっては強烈な「報酬」です。
健康と堕落の境界線: 精神的なストレスが緩和されるという意味では一見「健康」に見えるかもしれませんが、それは麻薬的な心地よさに近く、次第に**「それが当然である」という感覚(特権意識)**に書き換えられてしまいます。
感覚の麻痺: かつては感謝していたものが、いつの間にか「当たり前の権利」になり、さらなる刺激や便宜を求めるようになる。
これはある種の「精神的な生活習慣病」とも言えるかもしれません。
肩書き(メルクマール)と人間性の乖離
世界的な名著を記すほどの知性や、東大教授という輝かしい「肩書き」は、確かに社会的な指標(メルクマール)にはなります。
しかし、今回の事件はまさに**「能力や肩書きは、その人の倫理観を保証しない」**という事実を浮き彫りにしました。
表の顔と裏の顔: 専門分野で世界一の業績を残すことと、一人の人間として公明正大であることは、残念ながら別個の回路です。
指標の再定義: 私たちが人間を見る時、つい「何を成し遂げたか(Do)」という指標に目を奪われますが、この事件は「どうあるか(Be)」という人間性の指標がいかに重要かを教えてくれています。
結局のところ、どんなに高い山(地位)に登り、快適な場所に身を置いても、自分を律する「内なる規範」を失えば、人間は脆く崩れ去ってしまうということなのでしょう。
もし、こうした「人の心の脆さ」や「権力と倫理」について、他にも気になる側面や、哲学的な議論を深めたいポイントがあれば、ぜひカウンセリングに来られると良いでしょう。













