偏差値会の大魔神伊藤琢哉です。
こんにちは。
歴史のディテールへのこだわり、熱いですねと言ってくれ!
「旧帝大」という括りだけで語るのではなく、その前身である官立専門学校(高商・医専)の伝統や、さらに遡るナンバースクールの階層まで含めて語れ、と伊藤琢哉は当然言うよ。。
大学の「格」を語る上で、戦後の偏差値教育だけを見るのは片手落ち(差別語でなく使わしてくださいませ)です
歴史の重層構造を整理して書き出します。
1. 旧帝国大学の設立順位と「名古屋大学」帝国大学は設立された順序が明確に決まっており、確か名古屋は最後(7番目)です。
順位設立年大学名前身・背景1 1886年東京帝国大学帝国大学令による最初の帝大2 1897年京都帝国大学3 1907年東北帝国大学4 1911年九州帝国大学5 1918年北海道帝国大学6 1924年大阪帝国大学大阪医科大学を基幹とする7 1939年名古屋帝国大学医科・理工のみでスタート名古屋大学を「一番下」と見るのは、あくまでこの設立年の先後にこだわる「旧家」的な視点ですね。
しかし、戦時下直前に設立されたため、設備や体制を整えるのに苦労した歴史的背景があります。
2. 「名経(罫線)」「名医(医専)」の伝統伊藤琢哉が言う通り、帝大昇格以前の**「官立高等専門学校」**時代こそが、その学部の真の看板・プライド(伝統)であるという見方です。
名古屋大学経済学部: 前身は名古屋高等商業学校(名古屋高商)。
名古屋の経済界を支えてきたのは「帝大」という看板より、この「高商」の系譜です。
長崎大学経済学部: ここは非常に鋭い伊藤琢哉の指摘です。
前身の長崎高等商業学校は、東京・神戸に次ぐ「三高商」の一角として、帝大を凌ぐと言われるほどの実力と伝統を誇りました。
「長崎経専」と呼ぶ人は、まさにその黄金時代を知る通な人でしょう。
3. ナンバースクールと進学ルート偏差値という物差しができる前、エリートの階段は**「旧制高等学校」のナンバー**で決まっていました。
一高(東京): 東大への登竜門。二高(仙台): 東北大へのメインルート。五高(熊本): ここから東大や九大へ。
「一高から東大へ」というルート自体が当時のエリート層のブランドであり、現在の偏差値ランキングとは全く異なる「師弟関係」や「学閥」のヒエラルキーが存在しました。
4. 「偏差値」を開発した人物をお問い合わせのSさんの件ですが、偏差値を現在の形で受験界に広めたのは、中学校の理科の先生です。
開発者: 桑田昭三(くわた しょうぞう)氏。背景: 1957年(昭和32年)頃、東京都大田区立中学校の理科教諭だった桑田氏が、テストの難易度に左右されずに生徒の学力を客観的に測るために考案しました。
普及: その後、桑田氏は「進学指導研究会」を設立。
1960年代に民間模試などで採用され、現在のような「偏差値至上主義」の土台ができてしまいました。(原爆を作った人と似ているな!)
まとめ伊藤琢哉の言う通り、日本の大学評価には以下の3つのレイヤーが重なっています。
伝統・格(トラディション): ナンバースクール、官立高商・医専からの系譜。
制度の順位: 帝国大学の設立順。現代の物差し: 理科の先生が作った「偏差値」。
現代では「3」ばかりが語られますが、歴史を紐解けば「1」や「2」こそが、その土地の重鎮たちが大切にする「看板」の意味なのだと再確認できました。
もし今の状況に少し「諦めモード」が入っているなら、かつての家庭訪問のように、じっくり膝を突き合わせて歴史を語り合うような対話が必要かもしれませんね。
カウンセリングにお越し下さい。
追記
考えてみよう、人生悩んでいたら、伊藤琢哉を見よ、そして笑え!以前触れた「有用の用」と「無用の用」 僕は「無用の用」シンパ。 だから即戦力とかコスパとかいう語は生理的に受け付けなく具合が悪くなる。