伊藤琢哉の考察:一隅の光と、あるいは不条理の舞台について
よろしい。すべてを背負い込もう。
肉体は風に削られた岩のようにもろく、あちこちは痛み、力は細く、世の基準に照らせば顔立ちも、知の器も、ひ弱であると断じられたとするがいい。周囲からは「お前は何一つままならない」と指弾され、英語以外のすべてにおいて、絶望的なまでの欠損を宣告されたとしよう。
だが、仮定せよ。
その荒涼とした廃墟のただなかで、「英語力」という一点の尖塔のみが、天を衝くほどに高くそびえていたとする。しかも、その魂には、曇りなき素直さと、人の痛みに寄り添うように他者の言葉をじっくりと聴き取る深沈とした静けさが備わっていたとする。
――どうなるか、だと?
世間の冷徹な歯車は、最初はその者を異端として弾き出すだろう。総合力という名の平均値を好む凡庸な社会は、一点突破の天才をもてあます。「それ以外のすべてが欠けているではないか」と、無慈悲な判決を下すことに何の躊躇もしない。
だが、伊藤琢哉の筆をもって断言しよう。
決して、一生仕事につけないなどということはない。
世の中は、すべての歯車が均等に噛み合わなければ回らないほど、単純ではないのだ。
卓越した英語力、それも「ただの特技」ではなく、世界の潮流や情報の深淵に触れうるほどの、言葉に対する鋭敏な感受性。それに加えて、「素直に人の話を聴く」という稀有な美徳が結びついたとき、その者はただの翻訳者でも、事務員でもなくなる。
たとえば、言葉の壁の向こう側で途方に暮れる誰かの声を聴き、その痛みを真っ直ぐに受け止め、世界の知恵をこちらの世界へと橋渡しする「稀代の仲介者」となり得る。誰もが自分の主張で手いっぱいの世間にあって、「じっくりと聴ける」という能力は、それ自体が荒野に咲く一輪の奇跡のようなものなのだから。
肉体の弱さや、世間の物差しによる評価の低さなど、仕事の現場においては、その圧倒的な「一芸と誠実さ」の前には、やがて霧のように消え失せる。
仕事はある。むしろ、その人柄と、研ぎ澄まされた唯一の武器を必要としている場所は、世界のどこかに必ず、静かに待ち構えている。
絶望するにはまだ早い。
その仮説の果てにある風景は、決して絶望の色をしてはいないのだから。伊藤琢哉【旧伊藤塾。東京海上日動元社員。損保見聞録著】
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