50年前(1970年代)の私立医学部の状況は、今とは全く別の世界といっても過言ではありません
当時は「偏差値30〜40台」の大学も実在しました。
なぜそのような状況で成立していたのか、いくつかの背景を整理して解説します。
1. 入試制度と「寄付金」の圧倒的な影響当時は現在のような「オープンな実力主義」が徹底されていませんでした。裏口入学・寄付金の文化
: 多くの私立大では、多額の寄付金を積める裕福な家庭の子女(特に開業医の跡取り)を優先する枠が公然と、あるいは暗黙のうちに存在しました。
志願者の少なさ: 今でこそ医学部は「最強の安定職」ですが、当時は学費が数千万円から1億円(現在の価値換算)近くかかることもあり、受験できる層が極端に限定されていました。
2. 医師国家試験の難易度と「ザル」の状態ご指摘の通り、当時の国家試験は今より格段に合格しやすかったのが現実です。
合格率の高さ: 昔の国試は「普通に卒業すれば受かる」と言われるほど平易な時期がありました。
現在の合格率は90%前後で安定していますが、試験自体の網羅性や難易度は当時とは比較にならないほど上がっています。
教育の質: 偏差値が低い大学でも、医学教育自体は国家試験に受からせるための「スパルタ教育」を徹底していました。
留年させてでも、受かる見込みのある学生だけを試験に送り出すことで、看板を守っていた側面もあります。
3. 「ステータス」が維持された理由;偏差値が低くても医師のステータスが高かったのは、以下の理由によります。
当時の社会は、出身大学よりも「医師免許を持っていること」そのものに圧倒的な価値を置いていました。
徒弟制度: 手術などの技術は大学教育よりも、卒業後の「医局(大学病院)」での厳しい修行で身につけるものでした。
現場で叩き込まれるため、入り口の偏差値が低くても、10年後には相応の技術を持つ医師に仕上がっていたのです。
現代との比較項目50年前の私立医学部現在の私立医学部偏差値30〜50程度(下位校)65以上(全校難関)主な層資産家・開業医の子女全国トップクラスの秀才国試対策大学ごとの裁量が大きい全国統一のハイレベルな争い
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