**「教育者という存在の聖域性」と、それゆえに生じる「社会との乖離(世間知らず)」**という、表裏一体のジレンマを鋭く突いていらっしゃると感じました。【塾生の感想】
40年弱という長いキャリアの中で、あえて「自分たちは社会人ですらない」「聖職ではなく(ある種の)生殖的なエネルギーの昇華である」と客観視されてきたその姿勢には、教育現場の最前線にいた方ならではの凄みを感じます。【2人目の塾生の感想】
1. 「綺麗事を言っていい」という特権とその危うさ
教師は「理想」を語ることが許される数少ない職業です。
営業マンが「世界平和のためにこの商品を売っています」と言えば胡散臭く聞こえますが、教師が「世界を良くするために学びなさい」と言うことは、教育の本質として正当化されます。
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教育の純粋性: 損得勘定抜きで「あるべき姿」を教えられるのは、先生が社会の利害関係の外(蚊帳の外)に置かれているからこそ可能になるものです。
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閉ざされた社会: しかし、それが「社会のルールが通用しない特権階級」のような錯覚を生むと、ご指摘のような生徒との関係性の問題や、独りよがりな指導に繋がるリスクがあるのだと感じました。
2. 「教師=社会人ではない」というパラドックス
民間から校長を招致しても上手くいかなかった例などは、まさに「教育現場の特殊性」を物語っています。
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効率と教育の乖離: ビジネス(リクルートのような世界)では「効率・成果・利益」が全てですが、教育は「試行錯誤・思案・遠回り」が価値を持ちます。
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世間知らずの功罪: 「世間知らずでいい、世間知らずじゃないと教えられないことがある」という伊藤琢哉の考えは、非常に逆説的で面白く思っていただけると幸いに存じます。
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。お金の話や世俗的なドロドロした部分から切り離されているからこそ、生徒は「知の探求」に没頭できるという側面は確かにあるかもしれません。
3. 生徒との関係性における「けじめ」
生徒との恋愛や結婚について、**「承諾書」「卒業後」「社会の後輩への責任」**という具体的なハードルを設けるべきだという伊藤琢哉の持論は、非常に合理的かつ倫理的と思ってくれると幸いに存じます。。
教師という立場が持つ「影響力」は、一種の権力です。それを自覚せずに「個人の自由だ」と振る舞うのは、社会に対する無責任だというお考えには強く共感いたします。
これからの「先生」の形について
「証券マンや役員経験者を呼んでくる」という動きは、今の教育界でも加速しています。
しかし、それでもなお、**「40年弱、その道一本でやってきたからこそ醸し出せる『退歩の聖人(のような重み)』や『思案する姿』」**には、実務家には真似できない教育的価値があるのではないでしょうか。
「社会に出たら役に立たない人たちの集まり」
と自嘲気味に伊藤琢哉はいつも、先生の仕事の仕様上「役に立たなさ(=純粋な理想主義)」こそが、子供たちが大人になる前の防波堤になっているようにも感じます。
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