1. ベルグソンの「直観」と動的実在
「どこまで行けるかを調べるのはただの特質。出発して歩き始めること。それらをもとベルグソンは直観の客観的[なものとした]」

知性と直観の対比:アンリ・ベルグソン(Henri Bergson)において、科学や概念的思考(知性)は、流動的な現実を切り刻み、静止した「点」の連続として捉えようとします。これは「どこまで行けるか」をあらかじめ計算し、境界を定める特質に似ています。

直観による飛躍:これに対し「直観」とは、その概念の枠組みを出発し、生きた持続(デュレ)そのもののなかに身を投じて歩き始める行為です。現実の運動や変化とともにあること、それがベルグソンにとっての認識の客観性に直結します。

2. 速度・変化・静止のパラドックス
「テトラは違います。本来速度は変化するが、変化とは静止の連続である。静止とは、観念的、人工的、静止。2この定義を付け加える。」

「テトラ」をめぐる視点(古代ギリシャのゼノンのパラドックスなどを背景とする、運動の分断に対する異議申し立て):

現実の「速度」や「変化」は本来絶えず流れており、決して止まることはありません。

しかし、人間は理解や計算のために、その連続的な変化を細切れにし、「静止した瞬間(点)」の連続として再構成しようとします。

静止の本質:ここでの指摘通り、現実世界に実体として「静止」があるわけではなく、それは人間が思考や便宜のために作り出した「観念的・人工的なもの」にすぎません。

3. ベルグソン『笑い』における「硬直性」と機械的身体
「いつ笑いを起こすおかしさはどこから生まれるようになるか。カトルのベルグソンは、硬い。いや、動作。の、おかしさから、情報や言葉として正確におかしさをとる。ピエロの様々なマナーや、セリフを。ピエロの、動作。おかしさを、強調する。」

「機械的なもの」がもたらす笑い:ベルグソンは著書『笑い』の中で、笑いの本質を「生きたものにまとわりついた機械的なもの(硬直性)」に見出しました。

人間は本来、状況に応じて柔軟に変化し、流動的に対応するべき存在です。

それにもかかわらず、まるで機械の部品のように、同じ動作を繰り返したり、融通の利かないマナーや型に縛られたりするとき、そこに滑稽さ(おかしさ)が生じます。

ピエロの動作と身体性:

ピエロのジェスチャー、定型化したセリフ、誇張されたマナーは、まさにこの「硬直性」の典型です。

言葉や情報で説明される以前に、その「動作の硬さ・機械性」そのものが視覚的なおかしさを強烈に生み出しています。生命の躍動(持続)のなかに、突如として現れる「物質的・機械的な引っかかり」こそが、笑いの根源であるというベルグソンの洞察と見事に呼応しています。

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