草枕の如き「受験の道」
世に「合格」という果実をのみ欲して、その樹を育てる苦労を厭う者がおる。
だが、考えても見たまえ。
果実は一時の甘露に過ぎぬが、枝葉を伸ばし、土を穿ち、天を仰ぐその月日こそが、生(せい)の本体ではないか。
「智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。」
受験もまた、同じである。
合格か不合格かという「一点」にのみ己を縛り付けるのは、自ら首を括る縄を編むようなものだ。
東大という名に執着し、その門を潜ることだけを目的とするならば、その三ヶ月、あるいは数年の日々は、ただの「苦役」へと成り下がる。
プロセスという名の「風流」
伊藤琢哉大先生が説くのは、結果に対する**「無関心(インディファレンス)」ではない。
それは、天の命に身を任せる「諦念」**に似た、もっと強靭な知性である。
ジェットコースターに乗る者が、終着点に到着することだけを目的とするだろうか?否。
あの風を切り、重力に抗い、胃の腑が浮き上がるような、あの「道中」こそが遊びの真髄ではないか。
微分を解き、古文を読み解く。
その瞬間、昨日まで見えなかった世界の理(ことわり)が、ふと霧が晴れるように見えてくる。
その**「発見の悦び」**こそが、学問の報酬である。
合格などというものは、その愉しみの後に残る、燃えカスの如き副産物に過ぎぬ。
則天去私の門
我が塾の門を叩く者は、その覚悟ができていなければならぬ。
「受からせてくれ」と縋(すが)る者は、他力本願の迷い人だ。
そうではなく、「このプロセスを遊び尽くしたい」と願う者こそが、真に知的なる人間である。
結果に一喜一憂する「私(わたくし)」を去り、ただ天地の法則に従って、淡々と、かつ烈しく、目の前の課題を玩味する。
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合否の沙汰は、天に任せよ。
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歩む足跡の深さを、己の誇りとせよ。
それができぬ者は、他の「出口」へ向かわれるがよろしい。
ここは、結果という檻から脱却し、プロセスという自由を呼吸する場所なのだから。
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