塾長日記

登校拒否

登校拒否の方は午前中教室でもスカイプでもズームでも講義が行えます。

実際そういう方が多かったです。

ITO ACADEMY は偏差値の高い医学部のようなところへいざなうだけでなく、あくまで偏差値が低くてもその子の第一志望に入れてきました。

今年もそうです。

ですから合格実績を書くのは本来嫌いなのです。

生徒一人ひとりのサクセスストーリーは全然違います。

ですから合格実績をこの間消させてもらいました。

いつかまた、のさせてもらうかもしれませんが、塾が頑張ったからではなく本人の自己責任能力で受かったわけですから合格実績(偏差値の高い大学に受かっている塾を選ぶ)を競うのは本来おかしなことです。高い大学・医学部に受かっているのを見ると南山女子とか東海とか、かっこで書いてありますよね。

 

アルファベットもできない生徒さんですからではなく学校へ行ったことがない生徒さんをITO ACADEMY ではできるようにしてきた教育力は目を見張るものがあります。

 

以上

無形資産

人的資源に対する投資【講師に対する対価の増加】を行う。

新しい資本主義の態勢のもとで今年4月から開始します。

有形資産にはお金をかけません。

効率的な経営を行いますのでよろしくお願いいたします。

 

 

 

【教える塾】・【教えない塾】あなたはどちら派?

例えばお母さんとお子様の会話。

お母さんが【塾でしっかり勉強を教えてもらってきなさいよ】というのとお母さんが【塾でしっかり主体性をもって自習してわからないところだけ(あくまで教わらず)聞いて来なさいよ】というもの。

ITO ACADEMYは【教えすぎ】から【教える】に変わりそれから今はやりの【教えない塾】に変わり、その後に【生徒が教える塾】にまで昇華させております。今までの卒塾性の学習歴のすごさをご覧になれば一目瞭然でしょう。

(学校が嫌いな学校に行ったことがない子も塾長も元・行きたくない生徒だったのでよくわかるのですが)上記記載の生徒と同じ道を遅々としていますが進みます。同じ道を歩みます。安心して指導を受けてくださいませ。

ITO ACADEMY

ITO ACADEMYの教室はオフィスのような冷たさはなく、どこかしらAT  HOMEな温かみのある教室です。

そのようなのがお好みの方はご覧に来てくださいませ。

暖かポカポカな心の講師が君たちを待っております。

 

 

弁護士

生徒から進路の相談に乗っていると僕は弁護士になりたいという人がいた。

彼は論理的で解釈ができ法的センスがあると思われたのでいいのではないかと勧めた。

昔の生徒で同じように弁護士になりたいという子がいた。

記憶力だけは誰にも負けないが、司法試験は解釈とセンスも必要なので記憶力だけでは厳しいと伝えた。

 

引きこもりだったが通信制の学校で成績はよく超論理的な生徒がいた。

彼には弁護士を勧めた。

ただし法を作る公務員。

例えば民法改正を扱う公務員。

 

何が必要かというと、コミュニケーション能力が必要と言われている弁護士資格を持った者でも

それさえ最低限で収まる分野にいければいいということである。仕事として務まるということである。

だがこのような進路相談は学校ではなされない。

コンサルタントは様々な経験値と博覧強記ぶりが必要とされる。

 

本物をどこに置く!?

どこに【本物志向】を求めるかが重要である。

特定のお酒に本物志向を求めてきた人が体のことで本物志向を求め、健康を求め特定のお酒ならずお酒そのものをやめるように変わってきている。

教育もその子オンリーに一番本物のわかりやすい講義が求められている。

やはり重要なのは【本物の】ということではなく【どこに本物の力点を置くか】である。

 

senseの形容詞の練習問題

YOU TUBE でsenseの形容詞をたくさんお教えしましたよね。(まだの方はご覧くださいませ。)

次の空所を埋めよ。やってみてくださいませ。

A  lecturer(instructor)  at  a  preparatory  school  must  not  be  too (      )to   criticism.

【訳文】予備校の講師は(生徒の)批判にあまり敏感になってはならない。

 

答えはsensitive

センサティビンカンナ(敏感な―)とおぼえてね。

 

悲しい皆勤賞

私は幼稚園の頃大好きなお母さんの作った大好物の弁当をこっそり園舎の裏に捨てていた。

どうしても集団で食べることができなかった。

それに決められた時間内に食べることができなかった。

おにぎりの海苔が、しなっていたので緊張も相まってかのどに詰まって死にそうになるのである。

今思えばセンサティブナな子だということになろうが当時はそういう考え方はしなかった。

生きづらかった。

小中高も学校は毎日行きたくなかった。

けれどそのことは言い出せなかった。

心の中はそんな風でも、学校には毎日通った。(実際に高校1年の時は皆勤賞をもらった)

 

頑張っていたというよりかは、つらいのが当たり前だと思っていた。

今振り返れば、かなり無理をしていた。

 

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