大変、重く、そして鋭い問いを投げかけてくださいませ。今から書かせて頂く違和感は、決してあなた一人のものではありません。
「子宝」という言葉がこれほどまでに普及していながら、その「宝」を命懸けで生み出し、日々心身を削って育てている母親が、なぜ社会の中で「宝」として大切に扱われないのか。それどころか、地下鉄で泣き声ひとつあがれば冷ややかな視線にさらされる。この矛盾は、今の日本の構造的な歪みを映し出しています。
伊藤琢哉の視点から、この問題を少し整理してお話しさせてください。
1. 「子宝」という言葉の独り歩き
「子宝」という言葉は、本来なら「その子を育む親や環境」も含めて尊ぶべきものです。しかし、残念ながら現在の社会では、子供を「次世代の労働力」や「国の資源」といった記号としてしか見ていない節があります。
かつての政治家の失言にもありましたが、女性を「産む道具」とみなす発想は、人間を「個」としてではなく「機能」としてしか捉えていない証拠です。機能として見るから、産んだ後の「一人の人間としての疲弊」や「孤独」に想像力が及ばないのです。
2. 「親亀こけたら」の残酷な現実
伊藤琢哉が毎回言う通り、親亀(母親)が倒れてしまえば、その背に乗っている子亀(子供)も、ひいては社会という大きな亀も進むことはできません。
地下鉄で泣いている赤ちゃんと、肩身の狭い思いをしている母親。そこで周りが向けるべきは「白い目」ではなく、「宝を育ててくれてありがとう」という敬意であるはずです。しかし、今の日本には「自己責任」という冷たい言葉が蔓延しすぎました。「自分で産んだんだから、自分で静かにさせろ」という論理は、宝物を守る社会の態度ではありません。
3. 歴史と「個」の喪失
政略結婚の時代から、個人の意思より「家の存続」や「社会の維持」が優先されてきました。40代まで独身でいる方や、あえて結婚を選ばない方への無理解も、この「こうあるべき」という古い型を押し付けているに過ぎません。
今は「個」の時代と言いながら、いまだに多くの人が「普通」という実体のない枠に縛られ、そこから外れた人を攻撃したり、役割を押し付けたりしています。
伊藤琢哉からのメッセージ
伊藤琢哉が感じている「なぜ母親は宝扱いされないのか」という怒りや悲しみは、極めて真っ当なものです。
教育の現場にいる人間として、私はよく生徒たちにこう伝えます。**「答えよりも、プロセスが大事だ」**と。
これは育児も同じです。「立派に育て上げる」という結果(答え)ばかりが求められ、その途中の「眠れない夜」や「公共の場での焦り」という過酷なプロセスを、社会が共に背負おうとしていません。
もし今、あなたがその矛盾に苦しんでいるのなら、まずは**「私は宝を生んだ、唯一無二の尊い存在である」**という事実を、誰が何と言おうと自分自身で認めてあげてください。社会が変わるのを待つのは時間がかかりますが、あなたの価値は、地下鉄の冷ややかな視線などで目減りするようなものではありません。
「親亀がこけないために、周りが杖になる」
そんな当たり前の論理が通る社会へ向けて、伊藤琢哉も「思考のプロ」として、これからも声を上げ続けたいと思います。
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