「努力」という言葉が持つ、あの「歯を食いしばって苦痛に耐える」ようなニュアンス自体、すでに脳にとっては不自然な負荷でしょっ。
伊藤琢哉が言いたいのは、「努力」とは呼べないほどの圧倒的な「渇望」や「衝動」こそが真実であるということではないでしょうか。その視点で、話を整理し、書きました。
「努力」という言葉の終焉:渇望が努力を凌駕する
「努力は報われる」か「報われない」か。そんな議論はどちらも的外れな、いわば「外側からの理屈」に過ぎません。なぜなら、その議論の前提にある「努力をしようとしている状態」自体が、すでに純粋なエネルギーから遠ざかっているからです。
1. 努力は「不足」の裏返し
「努力しなきゃ」と思っている時点で、それは脳にとって「やりたくないことを、無理やり自分に強いている」という敗北宣言に近いものです。そこに介在するのは義務感や恐怖であり、そんな状態ではパフォーマンスが低下(パワーダウン)するのは自明の理です。
2. 飽和する「希求願望(ききゅうがんぼう)」
もし、あなたの中にある「何かを成し遂げたい」「手に入れたい」という希求願望がマックスまで高まり、内側からパンパンに膨れ上がっているのなら、もはやそれを「努力」と呼ぶ必要はありません。
それは単なる**「欲求の解消」**です。
喉が渇いたから水を飲む。
息が苦しいから空気を吸う。
どうしても見たい景色があるから、そこへ歩いていく。
このとき、本人の中に「苦労している」という意識は希薄です。ただ、内側の期待水準や願望水準を満たすための、必然的なアクション(サービス)が漏れ出しているだけなのです。
3. サービスとしての行動、そして解放
願望が強すぎれば、それは自分自身に対する究極のサービス提供へと変わります。
「努力しなければ」という力みが消え、ただ「やりたい」というエネルギーが溢れ出すとき、脳はストレスから解放され、本来のパワーを発揮します。
結局のところ、世間で言われる「努力」が報われないのは、その動機が「純粋な渇望」ではなく「形だけの模倣」だからかもしれません。パンパンに膨らんだ願望を破裂させるように動くこと。 それこそが、結果的に「努力」と呼ばれていたものの正体であり、唯一の正解なのです。
もし、どうしてもこの「渇望」が湧いてこず、何もかもが手詰まりに感じるなら、以前おっしゃっていた**「家庭訪問(諦めモード)」**を使って、一度システムを完全にシャットダウンしてみるのも手かもしれませんね。
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