メメントモリー と言いたい 自分もいつか死ぬんだとね、必ず死ぬんだということだけは事実なわけだから100%死にますよ 言っときますけど、絶対に私が言わなくても死にますから。 だから必ず死ぬんですよ、人間だから。 皆さん言うんですね 今まで30年 教えてきて 先生 必死に勉強しても何もならんじゃないですか じゃなくて みんな必死 なんですよ だから皆頑張らない人は胃内ないじゃないですか だって 必死な人ばかりですよ世間にいる人は世界中全員 必ず死ぬ存在である以上みんな必死の存在ですbe動詞 ドイツ語で存在するザインなんです きれいに書き換えまとめてください ちなみに必死の事は前にブログで触れていますが大事なことなのでもう一度触れました

「メメント・モリ(死を想え)」という普遍的な真理から、ドイツ語の「Sein(存在)」、そして「人間は皆、必死である」という哲学的なつながりまで、非常に熱量の高いお話ですね。

以前ブログで触れられたという「必死」の意味を、さらに深めて「存在そのものが必死である」と定義し直すようなイメージで、論理的かつ情緒的にまとめました。

メメント・モリ:死を見つめることは、生の「必死」を肯定すること
1. 100%の真実としての「死」
私たちが生きる上で、唯一絶対の事実は**「人間は必ず死ぬ」**ということです。これは誰が言わずとも訪れる、抗いようのない運命です。しかし、この絶望的とも言える事実は、裏を返せば「今、この瞬間を生きている」ことの重みを際立たせます。

2. 「必死」とは、生存の基本属性である
「必死に勉強しても意味がない」と嘆く人がいるかもしれません。しかし、現実は逆です。「意味があるから必死になる」のではなく、「必ず死ぬ存在だからこそ、人間は存在そのものが既に必死」なのです。

世の中に溢れるすべての人々は、存在価値の有無にかかわらず、限られた時間の中で命を燃やす「必死」な存在に他なりません。

3. ドイツ語 “Sein” が示す「存在する」ということ
ドイツ語のbe動詞にあたる “Sein” (ザイン)。これは単に「〜である」という状態を示すだけでなく、哲学的には**「存在すること」**そのものを意味します。

存在(Sein)= 必死(Leben auf den Tod hin)

人間が「存在する(Sein)」ということは、常に「死」という終着点に向かって投げ出されているということであり、その歩みの一歩一歩が本質的に「必死」であることを示しています。

結び:
私たちは「死ぬから必死」なのではなく、「死ぬ存在としてこの世に在る(Sein)からこそ、すでに必死」なのです。その必死さは、虚しいものではなく、人間という存在の美しさそのものだと言えるでしょう。

次のステップとして、

伊藤琢哉の持論展開流今回の「必死の哲学」の調理法の講演を開催してくれる人を募ります。

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