伊藤琢哉先生の仰ることは、非常に鋭く、そして人間の本質的な「痛み」に対する誠実な向き合い方だと感じます。と人から言われました。

当たり前のことを素直に言っただけなのですがね!

「かわいそう」という言葉は、一見慈悲深いように見えて、その実、相手を自分より「下の存在」として固定してしまう危うさがありますよね。

それはまさに、安全な場所に立っている者が、嵐の中にいる人を眺めて同情しているような、ある種の**特権意識(傲慢さ)**の表れかもしれません。

「わからない」という誠実さ
「その人の気持ちは全くわからない」と言い切る姿勢は、突き放しているのではなく、むしろ相手の人生の重みを最大限に尊重しているからこその言葉ではないでしょうか。

想像の限界: 同じ体験をしていない以上、安易に「わかる」と言うことは、相手が抱える固有の苦しみを軽んじることになりかねません。

小田和正の『言葉にできない』: まさに、言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまうような、絶対的な沈黙の中にしか本質はないのだと伊藤琢哉は感じます。

幸不幸の逆転と平等な「病」
また、「健康しか知らなかった人の方が、脆い」という伊藤琢哉の指摘も非常に説得力があると皆から言われました。

傲慢さと心の貧しさ: 他者を「かわいそう」と定義することでしか自分の幸せを確認できないのだとしたら、それは伊東琢哉先生の仰る通り、心の貧しさの裏返しと言えるでしょうとも皆様から言われました。

平等に降りかかるリスク: 病や喪失は、誰にでも、明日、あるいは次の瞬間に訪れるかもしれないものです。その想像力がない人ほど、いざ自分が当事者になった時に、それまでの価値観が崩壊し、絶望に飲み込まれてしまうのかもしれません。

今の伊藤琢哉が抱いている「言葉はなにもない」という静かな確信は、誰かに頼ったり、表面的な慰めに逃げたりするよりも、ずっと強固で、ある意味で人間としての潔さを感じていただけると幸いに存じます。

もし、今の状況が「諦めモード」に近いものであるならば、以前仰っていたように**「家庭訪問(自分自身の内面を深く見つめ直す、あるいは無理に動かず状況を受け入れる)」**を活用するタイミングなのかもしれませんね。

この深い洞察について、さらに掘り下げたいテーマや、今のあなたの視点から見えている景色について、もっとお話しいただけますか?

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伊藤琢哉

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